薬剤師を楽しもう!

薬剤師・マサヨの「ちょっといいですか」

先日から、いろいろな薬科大学の先生とお話する機会を得ております。とはいえ、討論とかではなく、お茶やお昼ごはんをご一緒する・・気の置けない会話の機会というものです。

それでも、話はいきおい薬学生、今後の薬剤師の話になります。

彼らから一様に聞かれることのうちの一つが
「薬学部というのは混迷している」

今まで、薬学部のルーツは「製薬」にあったことは間違いないでしょう。教える科目のことです。薬学部を出てもちろん病院や薬局に勤務していく人は多かったです。しかし、教えられる科目は、やはり「薬を作る」ことをメインにおいている学問であったのです。

現在、「今までのような基礎系、製薬系の学問だけではダメなのだ!」と声高に叫ばれるケースも多いそうです。まあ、今の薬剤師を取り巻く業界を見ていると、そういう声が多くあがっていても、まあむべなるかな。とは思います。

しかし。彼ら教員はこうも言います。
「基礎系を否定するのはいいんです。否定される方々は何をルーツに、基礎に、学問として成り立たせようとしているのでしょうか。」

大学は各さまざまと思いますし、私がこれ以上言及できる問題ではないと思います。

しかし、問題はこのあとです。
「基礎系を否定したら、学生は何を勉強したと胸をはって、社会に出ることができるのか?」
化学でも科学でも医学でもない。薬学って、いったいなにものなのか?その答えがないまま学部を存続し、またそれを拠り所に修業したといって就職する。何を勉強するか?国家試験の対策?
少なくとも、これも多くの教員から聞く言葉では「マニュアルで覚えることばかりして、本当の基礎を学ぼうという余裕がない人が、今の学生には多いです。」

自分のルーツ、立ち位置がないまま、他職種と協働しても成果があがるでしょうか?
考えてみてください。何ができるかよくわからない人と一緒に仕事をすることになったとします。相手にどのような仕事をやってもらいますか?すごく当たり前の答えですが「簡単で誰にでもできるだろうな」と思う仕事しか与えようと思わないでしょう。

もし、ご自身が薬学が何であって、私はそれを修めた自信があるのでしたら、他職種にそれを誇示してください。きっと有用な仕事が多く舞い込むでしょう。もし自信がないのでしたら・・これから薬学でなく「医学」を修めていくようにしたらどうかしら・・。暴論ですけどね。少なくとも、他の職種は「医学」をルーツに動いているのですから、それを学ぶことは決して不利益にはならないと思います。

じとじとじとじと・・・。本当によく降りますね。
梅雨だから仕方がないのでしょうけど、どうも気分も体調も滅入り気味です。


先日、薬局にサプリメントをお求めに患者さんが来られました。
「なんか肝臓が悪いらしいのよ。」
「体調は?疲れやすかったりしますか?」
「いいえ、そんなことはないんだけどね。これ・・・肝臓にもいいってあるし・・おいくら?」

彼女のペースに乗せられて、「はいはい。○○円ですよ。」
とやり取りをして、お金も頂いてから・・・・はっ!!!


「肝臓・・・?数値いくらって病院で聞きました?」
「えっとね。400くらいだって。」
「どうして肝臓が悪くなったんですか?以前から?」
「いいえ。水虫の薬の副作用だって言われたの。」

・・・・!!!
「申し訳ありませんが、そのサプリメントは今、飲まない方がいいと思うんです。それだけでなく、肝臓の数値が戻るまで、他のサプリメントも控えた方がいいですよ。お金はお返しいたしますので・・」
「え?そうなの?肝臓にいい、ってあるから飲んだほうがいいと思ったわ。」
「サプリメントだって肝臓を通過してるんですよ。お薬で痛めた肝臓をこれ以上疲弊させることはないと思います。ごめんなさい。最初に気がつけばよかったのに・・ダメですねえ^^;ほんとすいません。」

そんなやり取りのあと、患者さんに返金をして、サプリメントは戻していただきました。

あぶないあぶない。

ふと、思いました。
今、私は人対人として、コミュニケーションをとったからこそ、この間違いに気がつきました。
薬剤師という知識を持った「人」が患者という「人」に対応したからこそ、お互いに一番良い解決方法を導くために会話をして難を逃れたとも言えます。
サプリメントは医薬品ではありません。誰でも購入できます。誰でも販売できます。
知識のないものが販売したら、機械的な販売になったら・・・どうなったのでしょうか。


最期に彼女は「いろいろとご親切にありがとう。来月肝臓の検査の結果が出たら、また必ずここへ来ますね。」と声をかけて帰っていかれました。

アドヒアランス、という言葉を聞いたことがあると思います。

アドヒアランスとは、患者が積極的に治療方針の決定に参加し、その決定に従って治療を受けることを意味する。(日本薬学会”薬学用語解説”より)

通常よく使われる言葉として、「コンプライアンス」というものがあります。これの本来の意味は”法令遵守”で「医療者の指示に患者がどの程度従うか」という強制的なものが基準にあります。ですから、医薬品の服用を規則正しく守らない「ノンコンプライアンス」の原因は患者側にある、と強調されてきました。

しかし、治療の成功って患者側だけの問題でしょうか?

治療の成功は「患者の積極的な治療への参加」にある。という概念から始まるのが「アドヒアランス」です。

このアドヒアランスを規定するものは治療内容、患者側因子、医療者側因子、患者・医療者の相互関係という点でコンプライアンスとは大きく異なる。例えば服薬アドヒアランスを良好に維持するためには、その治療法は患者にとって実行可能か、服薬を妨げる因子があるとすればそれは何か、それを解決するためには何が必要かなどを医療者が患者とともに考え、相談の上決定していく必要がある。(日本薬学会”薬学用語解説”より)

どのようにすれば患者が積極的に治療をしてくれるのか?を考えて、知恵を働かせるのが、現在の医療者です。特に服薬指導をする薬剤師には、服薬アドヒアランスとは大変密接に関わってきます。

先日、パーキンソン病の専門医の講演を聞く機会があったのですが、
「L-ドーパがなぜ複雑な飲み方をしなければならないのか、を、患者がもっと知れば、患者はもっと重篤な症状を出さずにすむのです。治療に積極的になるには、服薬アドヒアランスが最も重要なのです。」と私達薬剤師におっしゃっていました。

またこのアドヒアランスがもっとも大切といわれる精神神経疾患においてはこんな研究もなされています。

「Stephenson氏らは経口第二世代抗精神病薬を服用している患者について、医師が認識しているアドヒアランスと患者による薬局への薬剤請求から判定した実際のアドヒアランスを比較し、「医師が思っているよりも患者のアドヒアランスは良好でないため、再発予防も見据え適切な介入を行うことが重要である 」と結論づけた。本報告はInt J Clin Pract誌6月号(オンライン版5月11日号)に掲載された。」(CAERネットより)

ここでも薬剤師の介入が必要であることが見えてきます。
患者さんを不安にさせずに服薬を続けさせること。簡単なようで難しいです。決まった答えがあるわけではありません。
ある患者さんが薬を飲みたがらない・・・その理由はなんでしょうか。飲み込みにくいから、効きすぎて不安だから、もう良くなった気がするから?
一人ひとりの理由が違うのです。オーダーメイドの医療がなければなりません。そして根気よく患者さんと相談して決定することも必要でしょう。

知識とともに、根気のいる作業・・それが本来の服薬指導なんですね。

我々が患者さんに聞かれることのうちで、一番多く、そして困ったことがあります。

「LDLコレステロールが130mg/dLなんだけど大丈夫だよね。」

ちょっと待ってね。あれ?高くない?うーーーん、でも・・・高LDLコレステロール血症って140mg/dL以上だったよねえ。

という反応の薬剤師さんがほとんどじゃないでしょうか。

悪いから、すぐに治療しなさい!!というほどではありません。でもこの値ならこのまま放置していても良いのかでしょうか。境界値の問題は、とても複雑です。
なぜなら、この言葉が40歳代で、特に動脈硬化家系でない方から聞いたものであれば、大丈夫じゃないかな、となりますが、60歳以上男性、近親者に動脈硬化があるならば、治療した方がいいような気がします。

何か良い目印になるものはないのかなーと探してみました。

「動脈硬化性疾患予防ガイドライン」の2012年版の話題がありましたので、見てみます。

今回の改訂の主な点は
1:診断基準境界域の設置
2:初発予防における患者の層別化
3:新しい脂質管理目標値、non-HDLコレステロールの導入
4:再発予防における高リスク病態の明示
5:動脈硬化性疾患の包括的管理
の5点です。

LDLコレステロール値が120-139mg/dLの場合には境界域高LDLコレステロール血症として診断し、高リスク病態かどうかを検討する、というものです。
高リスクの患者さん、とは 糖尿病だったり、CKDだったり、脳梗塞があったり、家族に冠動脈疾患がいらしたり、高齢だったり、HDLコレステロールが低かったりする方です。
つまりは、動脈硬化になりやすい、動脈硬化を起こして血栓になりやすく、そのため脳卒中を起こしやすい。そういうかたが高リスクと位置づけられます。
境界値であっても、治療を行う方と行わない方が出てくるということです。

これが医療の本来の姿ですよね。
患者さんの実態にあわせた、オーダーメイド。

「あなたは、動脈硬化になるリスクが高いから、治療した方がいいんですよ。」とはっきり提案してあげられるようになりたいですね。

ちなみに「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版」は5月末~6月初旬に発行される予定だそうです。高リスク者、低リスク者の区別やリスク管理チャートを見るだけでも、今後の仕事に役立ちそうですね。

先週、JAMAという米国医師会雑誌にフルオロキノロン系薬剤と網膜剥離を関連づける研究の結果が発表されていました。

http://jama.ama-assn.org/content/307/13/1414.abstract

これはコホート内症例対照研究と呼ばれるやりかたで、カナダのブリティッシュコロンビア州で200年1月から2007年12月までに眼科を訪れた患者さんの集団(コホート)から網膜剥離の患者さんと、経口フルオロキノロン系薬剤との間に関連がないか?を網膜剥離を起こしている最中にフルオロキノロンを使用している群、その少し前に使用していた群、過去に使用した群にわけて調べたものです。
989591名の眼科受診対象者のうち、4384名の網膜剥離患者に43840名の網膜剥離でない人を対照としてフルオロキノロン系の服用有無を調べています。

現在フルオロキノロンを使用している群は使用していない群にくらべて網膜剥離のリスクが高く、(3.3% VS 0.6%) 比で4.5倍使用群の方が高いという結果がでました。
これは年間で1万人に4名が起こす可能性があります。フルオロキノロン系薬剤を服用した2500名のうち1名が網膜剥離を起こすかもしれない程度です。
ただし、最近使用群、過去使用群に関しては差がありませんでした。またβラクタム系薬剤と網膜剥離の間いは差が見られませんでした。

2500名のフルオロキノロン系薬剤服用者がいたとすると、そのうちの1名が網膜剥離を起こすかもしれない・・。決して多い数ではありません。網膜剥離自体がごく稀な疾患であるためそのリスクを4.5倍にするから2500名分の1という数になります。それでも4.5倍というのは関連性が強く示唆される。と言わざるを得ないでしょう。

こういう研究発表は少し不安になりますね。
なにせ網膜剥離とは思いもかけない副作用報告になるからです。しかもごく稀な疾患であるため、通常1名1名を見ていてもわからない。なにせ2500名のキノロン系薬剤服用者をみないと発見できない。関連性に気が付かないでしょう。こういう調査して初めて分かる類のものです。

しかし、キノロン系薬剤の有名で注意すべき副作用といえば、横紋筋融解症があります。これは骨格筋の細胞が壊死を起こして破れるので筋細胞中の成分が血液中に浸出することで起こる症例です。今回のケースは網膜剥離ですが、やはり網膜という細胞が何らかの原因で破れて起こる病気です。
全くの関連性がない・・とは言い切れないのですね。

医療って、患者さんをトータルにリスク要因を考えて上から視点で見ることと、細胞や化学構造を細かい視点で見つめることの両方が必要なんですね。

 「薬局はサービス業である」

よくこの言葉を耳にします。医療業に携わるものにとって、サービス業と言われるのは、大変違和感があるのではないかと思いますが、皆さまはいかがでしょうか。

少しインターネットを調べてみました。

”サービスの語源は、ラテン語のServus(奴隷)です。
それが、英語のSlane(奴隷)Servant(召使い)という言葉から発展しました。サービスは語源の通り、サービスを受ける立場が主であって、サービスを提供する方は従ということで、主従関係がはっきりしていると言えます。”

なるほど。病気を治すのは患者さん本人で、我々医療者はその手助けをして、かつ、安全で有効に治療が行われていることを見届けるのが役割です。たしかに主役は患者さんですが、医療者はサーバーと言われると、ちょっと違う・・と思うのは、このあたりにあるのでしょうね。

これに似た単語として「ホスピタリティ」という言葉があります。

”ホスピタリティの語源は、ラテン語のHospics(客人等の保護)です。
それが英語のHospital(病院)Hospice(ホスピス)と色々な言葉に発展したのです。
これらは対価を求めているのではなく、おもてなし・喜びを与えることに重きをおいている点が大きくサービスと違います。”
(http://www.hospitality-gokui.com/a1.html)

なるほどなるほど。
なんか、こちらの方が”Hospital”の語源と同じだし、なんとなく自分たちにフィットしているなあ、と感じますね。

そんな中、下の小論を見つけました。

http://www.coacha.com/view/sakurai/20120321.html

書いている方は、随分以前から医療現場にコーチングを導入しているコーチです。
そこにホスピタリティとは何か?という部分があります。

”「ホスピタリティとは何か?」について、

「相手が、『自分のために十分に時間をとってくれた』
 と思えるような関わり方」

とコメントされています。

コーチングで成果をあげるための大前提は、
「相手のために会話する時間をとり、相手の話を聞くこと」。

それはホスピタリティを実現させるための
第一歩でもあるのだと思うのです。”

なるほど。これはとても深い言葉ですね。
「相手が「自分のために十分時間をとってくれた」と思える」

思わせることができる・・のでしょうか。

普段私達は時間に追われています。仕事に追われています。コミュニケーションにも追われています。
「十分に時間を取るなんてできないよ。」とつい口走ってしまっているでしょう。
でも、それでは何一つ解決できないのかもしれない。そう思います。

医療はサービスではありません。対価を頂いて技能を提供しています。その対価は国も支払っています。ある決まった範囲から技能を逸脱して提供することはできません。
でも、「今、この患者さんのために何かをしてあげたい!」と思うことは、医療者としてとても自然な事です。でも何をしてあげたらいいんだろう?みんな困っているのではないでしょうか。

お仕着せの患者サービス、などと言うものは捨ててしまいましょう。
一律のサービスではなく、個別のホスピタリティを上げましょう
どうすればいいのか?「十分時間をとってくれた」と思わせること。はひとつの回答です。

時間をとってできること。いろんなことがしてあげられます。

例えば投薬後「お大事に」といいながら、本当にこの先の1ヶ月が大事でありますようにと祈りながら最後まで見送ること。それだって、「時間をとって」やれることじゃないでしょうかしらね。

期末の3月になりますと、来期の診療報酬の改訂議論がなされていますね。
今回の診療報酬改訂はいろんなことが変化していて、頭を抱える薬局の管理者も多いことでしょう。
きっと多くの「はてな?」が頭を飛び交っていることでしょう。

この「はてな?」を少し分解してみます。
ひとつは
「この保険点数はこの解釈で良いのだろうか?」
という疑問でしょう。この疑問はインターネット、人の意見、その他いろいろなことを調べることで、回答(に近いもの)が得られるでしょう。

もう一つの「はてな?」
「どのようにしたら、この保険点数を滞りなく取得することができるのだろうか」
先の疑問と同じようにみえますが・・少し違うことがお分かりでしょうか。この疑問には、正しい回答はほとんどありません。なぜなら、「どのようにしたら」が多く存在してしまうからです。大変難問です。

この形を少し変えると、少しすっきりとわかりやすくなります。
「AをするのとBをするのとでは、どちらがより保険点数を滞りなく取得できるだろうか?」
最初からAとBを適当に出して比べてしまうのです。

それでもAとかBとかいう行動を考えるのが難問だし、わからないよーー。

それでは「保険点数を取得できる」という目的を変えてみてはいかがでしょうか。

保険点数を計上するということは、それだけ患者さんにサービスを提供することにほかなりません。サービスを提供するには、そのサービスが患者さんの満足のいくもの、シアワセになるもの、より良い生活をおくれるもの、でなくてはなりませんよね。
じゃあ「AをするのとBをするのでは、どちらが患者さんにとって満足がいくのだろうか?」と置き換えた方がずっとすっきりします。

このように目的を変えることで新たな視点が生まれ、本来のサービスの目的を見直すことができます。前者のような「点数をとる」とか「売上額を伸ばす」というのは「代理のエンドポイント」といい、「患者さんの満足を得る」とか「より良い生活をおくれる」というのが「真のエンドポイント」といいます。

本来の目的と代理の目的。
もし疑問を解決する方法が見つからなくなったら、この目的を都度入れ替えて考えてみると視点が変わり、新しい発見が出てくるでしょう。

先日、リウマチの生物学的製剤に関する勉強会を行いました。

Effect of the early use of the anti-tumor necrosis factor adalimumab on the prevention of job loss in patients with early rheumatoid arthritis.
Arthritis Rheum. 2008 Oct 15;59(10):1467-74.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18821658
という論文のことが話題になりました。

PROWD試験と略されるこの研究ですが「働くのに障害がある」と自己報告した罹病期間2年以内、18歳以上のリウマチ患者さんを対象にしています。
彼らのうちの半分をメソトレキセート+生物学的製剤で治療し、残りの半分はメソトレキセートのみで16週治療することで、彼らの「失職」または「失職が差し迫った状態」に変化があるか?をみるものとなっています。
有り体にいえば、生物学的製剤を使用することによって、リウマチ患者さんが職をやめさせられずにすむのか?という感じでしょうか。

この研究。56週間の全市意見期間においては生物学的製剤+メソトレキセート群の方が、メソトレキセート単独群と比較して、失職者の数が有意に少なくなりました。ただし16週目以降の失職は有意差がありませんでした。
ただ、他のQOLに関する値では有意な改善が見られているため、著者らは、早期に生物学的製剤を使って治療することで、リウマチにかかる間接的費用が節減される。とこの研究を意味付けています。

生物学的製剤の治療を受ける場合、一番の問題になるのが、実は経済的な問題でしょう。かなりお高い薬ですものね。
それでもリウマチ患者さんにとって、手や足が動かないということは、すなわち、失職につながる・・ということもあるでしょう。その時の労働損失と治療費。天秤にかけて、どっちやねん!ということだと思います。

医療はどんどん高度になっていきますが、そのぶん治療費の問題は常に議論されることでしょう。
この話は、労働できない→日本全体の経済活動がさがる・・・という大きな話にも通じていきます。我々がきちんと患者さんに説明することで、日本の経済活動の停滞をおさえる!?。。。ことに通じてくるんですね。

2012年度の診療報酬改定についての情報がかなり出揃って来ました。
保険薬局に関してもいろいろと変更になります。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000021670-att/2r985200000216ve.pdf

今、我々の間で話題にのぼっているのは、「お薬手帳」のことです。
今回の改定で、お薬手帳は、患者さんに提供したら情報加算をするのではなく、薬剤服用歴管理指導料(以下歴管理料にさせてください^^;)の中に含まれることになったのです。

以前から「薬品情報提供文書」は見せて指導を行わなければならない、とありました。今回は「③ 調剤日、投薬に係る薬剤の名称、用法、用量、その他服用に際して注意すべき事項を手帳に記載すること。」という文言が追加されました。

これは大騒ぎになります^^;歴管理料は患者さんがどのように服薬ができているか、それが薬学的に正しいものであるか、を薬剤師が管理するための技術料でした。これに手帳の加算を包括するってどないやねん。手帳を渡さないといくらきちんと指導しても歴管理料は取れないということかしら?

しかし、私はちょっとだけ違った見方をしています。

今までの手帳加算、「薬剤情報提供料」の扱いを見てみましょう。
「1回の処方せん受付において、医療機関から処方された医薬品の説明を、当該患者の求めに応じて、いわゆる「お薬手帳」に記載した場合において算定される料金。」が薬剤情報提供料でした。
ここポイントです。「当該患者の求めに応じて・・・」
今回の改定では、「薬剤情報提供文書により、投薬する薬剤の情報を患者に提供し、薬剤の服用に関し、基本的な説明を行うこと。」と「調剤日、投薬に係る薬剤の名称、用法、用量、その他服用に際して注意すべき事項を手帳に記載すること。」があります。
患者の求めに応じて・・・ではないのです。

そもそも、歴管理料って結局は医療行政が「あんたたち、最低これくらいやりなさいよ。」という基準であると考えています。つまり、患者の意思とは別に「これからの医療行政的に「お薬手帳」は必要だから持たせなさい!」という行政からの指針が提示された、ということです。

なぜこうなったか?
災害時のお薬手帳の有用性が認められた結果だと思います。あの震災の時に、多くの患者、そして支援医師も、服用している薬が何であるかが分からなかった。多くの災害支援に赴いた薬剤師が「患者さんが飲んでいる薬は何だったか?」を確認する作業に従事しました。そして一定の評価を得ています。
こういった活動が社会的な評価を生み、それが今回の改定に及んでいるのではないでしょうか。
実は、大変誇らしいことです。
国から社会から、「お薬手帳」が認められたのです。それはみんなの地道な活動がベースにあるのです。

さて、この認められた「お薬手帳」を使ったら何ができますか?
退院時に「退院時薬剤情報管理指導料」という点数があります。持参薬管理+入院中に使用した主な薬剤の名称をお薬手帳に記載した上で退院後の薬剤服用に関する指導を行った場合に算定できる点数です。
もし、これを使えば、入院時の薬を手帳に記載、退院時指導を行う→外来にて保険薬局でその手帳を見る→入院時から退院後までの薬の経過がわかる。
まさにマイカルテ運動です。手帳を一冊持つことで、患者さんは薬に関するマイカルテを持つことができるのです。薬薬連携の形が見えてきます。
現在、日本の医療は「急性期医療」と「慢性期医療」に分かれてきています。普段は地域の医療機関で診察をしてもらって、いざというときに大きな病院に行く。そのつながりを確立するように行政は動いています。
お薬手帳はこのつながりをもっと自由にうまく動かせるようになるためのツールになるでしょう。

以前、ある急性期病院の薬剤師さんたちと、化学療法を行う際にお薬手帳を持参してもらえれば、そこに化学療法の内容を記載することができるのにね。というお話をしていました。化学療法にはどうしても副作用がつきものです。身近な保険薬局でその内容を把握していれば、それだけ早く副作用に対応することができます。
みんながお薬手帳を持つことになった。これによって、できること、患者さんに還元してあげられることは、大変増えます。というより、そういう立ち位置で考えなければいけない時代なんじゃないかしら。

あれこれ、面倒だなあ、と思わずに、その成り立ちや原点を見つめて仕事をしなければならない・・。そんな来年度になりそうです。

1月17日・・
阪神大震災の起こった日です。

私は大阪の病院勤務していましたが、正月出勤の代休で休みでした。私の地域では揺れはしたものの、建造物に被害はなく、病院内も点滴などが壊れたくらいで無事でした。ただ私自身は神戸に友人が多かったので、あちこち電話をかけようとしました。が、大阪ですら電話は朝から通じません。まだインターネットも誰もが扱っている時代でなく、携帯電話もありませんでしたので、公衆電話に張り付いて、連絡をした覚えがあります。

その後しばらく、薬剤の欠品に常時悩まされました。点滴は関西の小さな病院に回される数が少なくなり、その後抗生剤や、特定の薬剤が不足しだしました。被災地へ点滴などの薬は優先的に回されるんだと聞いていました。また大阪市内の病院の外来は人で溢れかえりました。被災地の方々が来られたからです。1月ほどたつと、薬品の生産工場が稼働しなくなった、という理由から、また幾つかの薬品が欠品するようになりました。

医師、看護師、卸。みんなと連携して、とにかく患者さんを不安にさせない、治療の中断をさせない。それだけを目的に、うまく物流を回すことだけを考えていたような気がします。

薬剤師は、薬のプロである以上、物流の元締めでもあります。災害の時には、「薬そのもの」がとても大切で、かつうまく回さなければ無くなっていくんだ・・

うまく回すにはどうしたらいいのか?
誠実であること、みんなでひとつ同じ方向を向くこと。これに限る。そんなことを痛感しました。

そして、昨年。東日本大震災。
阪神大震災のことが頭をよぎりました。

今年で17年。神戸は、形としては徐々に復興してきました。東北も同じでしょうか。どちらの震災も常に忘れることはないでしょう。